幸せとは

学校の授業で、まあいわゆる般教的な授業なんだけど、科学技術と人間の倫理みたいなのを受講している。
で、そこで先生曰く
「今の日本の社会の構造はすべて個の質を高める事で全体の質を底上げしている」と。
例えば、車を一台作るにはエンジンの専門家、ボディの専門家、内装、タイヤとまあ色々な専門家がいて、彼らの個々のレベルを高める事で車の完成度を高めていると。
それが適用されるのが技術だけじゃなく一般社会においてもそうだと。
個人個人が幸福になれば社会全体が幸福になるはず、と信じてやってきたのが今の日本。
確かに一億総中流なんて言葉もあったな。
でも今や勝ち組負け組、格差社会なんて言って個人個人の幸福を高めるなんてのは無理だと。

今まで資本主義社会の中で暮らしてきた身としてはこの発言には結構びびった。
この先生は共産主義の賞賛とかをしてた訳じゃないけど、こんな言い方されたら共産主義が魅力的に見えなくもないね。
死ぬほど働いて一軒家でなんとか家族を養っていくなんて世の中より適当に働いて、生活はしょぼいがのんびり自由にやっていく、なんての方が楽しいのかもしれない。
みんな幸せになろうと必死こいてるけどそれはコスパに見合ってるのかと。
必死こいて必死こいただけリターンも大きければそれでいいんだろうけど見返りがそんな大きいとも言えないんじゃないかなあ。